令和六年八月「生命の言葉」

みな人の こころもみがけ
千早ぶる 神のかゞみの
くもる時なく

後醍醐天皇

都内戦災・震災殉難者慰霊祭

毎年、終戦日である八月十五日の午後より関東大震災・東京大空襲で亡くなられた約一六三〇〇〇体のこ遺骨が安置されている東京都慰霊堂(墨田区横網町公園内)において都内戦災・震災殉難者(じゅんなんしゃ)慰霊祭を斎行し、御霊(みたま)に慰霊の誠を捧げ平安をお祈りします。
当日の祭祀は、東京都神道青年会の青年神職が奉仕いたします。皆様方のこ参列をお待ちしております。
▶︎この祭事に関するお問合わせは 東京都神社庁 ☎03(3404)6525まで

神道知識の誘(いざな)ひ

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)
鎌倉時代後期の第九十六代天皇。
数え年三十一歳で即位なされ『増鏡(ますかがみ)』によると新政の開始とともに和歌や漢詩文、管絃の会をさかんに催し親(みずか)ら笛や笙を奏し、琵琶の宝器「玄象(げんじょう)」を演奏したとあります。『太平記』には商売や往来の妨げとなる関所の新設を禁止し、また飢饉(ききん)に際しては、米価の高騰を抑え庶民の窮状を救った果敢な政治が称えられています。
さらに、「下の情(こころ)、上に通ぜざる事もあらん」と記録所へ親ら出向き、直に訴えを聞いて理非を決断したとあります。しかし一方で、門閥(もんばつ)貴族の既得権益を守ろうとした公家からは、先例を無視した政治手法や氏素性の知れない者等を政権の要職につけるなど、家柄や門閥を顧慮しない人材登用を痛烈に批判されています。時代の要請もあり討幕を企て実現した「新しい勅裁(ちょくさい)」の政治は、二年余りで破綻・崩壊し、南北両朝が分立・抗争する時代の中、五十二歳で吉野の行宮にて崩御なされます。
後醍醐天皇の御代は、日本の政治、社会、思想、文化の一大転換期となる時代であり、表の歌はそのような背景で詠まれた御製となります。

今月の祭日

八月十五日 都内戦災・震災殉難者慰霊祭【於:東京都慰霊堂】御霊の平安を祈念します。皆様のこ参列をお待ちしております。