國領神社について

國領神社

社名

國領神社(こくりょうじんじゃ)

 

鎮座地

東京都調布市国領町1丁目7番地1

 

御祭神

主祭神 神産巣日神(かみむすひのかみ)
配祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
    建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)

 

由緒

國領神社は、國領神社(第六天社)と神明社(八雲神明社・杉森神明社)の二社を合わせた神社です。

國領神社と神明社の創建年月については共に不明です。

國領神社は以前は第六天社と称し、古代多摩川のほとり(杉森1289、1288、1268)に鎮座していました。
第六天社は薬師寺(現常性寺)の管理下の頃、祭神は薬師如来の守護神十二神将の内の第6番目の第六天神でした。
甲州街道が整備される江戸時代初期の頃、常性寺が甲州街道沿いに移設されたとき、同じく調布町大字國領148番地(現在の調布市八雲台1丁目・八雲台小学校裏の都営住宅の所)に遷座しました。
神仏分離の明治2年に寺から分かれ村有となり、祭神を神産巣日神とし、國領村の鎮守として崇敬されていました。
明治4年10月に村社に列せられ、明治8年10月に國領神社と改称しました。

「新編武蔵風土記稿」によると
多摩郡 府中領 國領宿
第六天社 小社 当宿ノ鎮守ナリ 除地ノ内北方ニアリ 本堂ヲ距ルコト凡二町

「國領神社取調書上帳」によると
武州多摩郡國領宿
一、鎮守國領神社 一座 社殿六尺四尺
 社地壱畝歩除地御検地帳ニ者御書無御座候、祭礼毎年九月十二日最寄神職相頼執行仕候
  明治二年巳二月

「社寺取調書(妙)」によると
第十大区七小区
武蔵國多摩郡 國領宿
 國領神社元除地現今境内
 旧反別五畝歩
一、改正反別三畝拾歩
 同社境外 先年大縄場上知
 旧山反別五畝廿歩
一、改反別五畝拾五歩
  此地代金壱円六拾五銭
    但貢租反金壱銭二厘五毛 地金三円

  明治八年七月

神明社も、古代多摩川のほとり杉森の地(杉森1095)にありました。
杉森の地にあったことから杉森神明社とも呼ばれ、また八雲台の地にあった頃は八雲神明社とも呼ばれていました。
創建は不詳であるが、荻窪、小川、小林の一族が鎌倉より移住し、国土の安泰、五穀豊穣を願い創建したと伝承されています。
神明社も薬師寺(現常性寺)の管理下にあり、祭神は建速須佐之男命で、明治42年11月17日に天照大御神を合祀して一緒に奉られていました。
甲州街道が整備される江戸時代初期の頃、常性寺が甲州街道沿いに移設されたとき、同じく調布町大字國領字八雲台182番地(現在地である調布市国領町1-7-1)に遷座しました。

「新編武蔵風土記稿」によると
神明社 社地除 一畝一八歩 小社 上ノ北裏ニアリ

「國領神社取調書上帳」によると
一、神明社 一座 社殿六尺四尺
 除地弐畝拾五歩余有之、御検地帳ニ者御書載御座なく候得共、享保年中御沙多(汰)ニ相成神明除地与記無之由来之義者、玉川耕地当宿神明古社杉森与相唱江候地ニ住古建立無之候処、甲州道中御開発之節氏子者玉川縁耕地ヨリ往還端迄引越候、右社の義も当社地より引移申候趣書記有之候、什器義は雷之撥与申伝へ石にて壱尺壱寸廻り丈弐尺程之太鼓形之者二本有之、右何等之子細ニ御座候年来相云(伝)候一切相分不申候、祭礼之義者毎年九月十二日より二十一日迄之内二修行仕候、任官祭礼者氏子の申合補佐之神職相頼執行来候

「社寺取調書(妙)」によると
 神明社元除地現今境内
 旧反別弐畝廿五歩
一、改反別八畝九歩

しかし、時代の推移で、國領神社の境内地近隣に都営住宅の建築計画の為、やむを得ず境内地を移譲しました。
その浄財を以って神明社境内地に社殿を造営、昭和38年10月12日に竣工遷座祭を執り行い、國領神社と神明社とを合祀、社名を國領神社と総称して現在に至っています。

JAマインズ 広報誌「マインズ」 地域の歴史 村と鎮守様略記17

 

例祭日

  1月12日  歳旦祭
  2月節分  節分祭
  2月12日  祈年祭
  4月12日  春季例大祭
10月12日  秋季例大祭(神幸祭は体育の日の前日の日曜日)
11月12日  新嘗祭
12月31日  大祓祭

 

末社

稲荷神社(境外末社)